2007年07月08日
●甲武鉄道の砂利線
ミニレポートですが、甲武鉄道の砂利線を掲載しました。写真は今年の春に撮って来たものですが、現場は前々から気になっていた場所でもあります。以前ボードで情報も頂いていたような…
>> 甲武鉄道の砂利線 <<

Posted by H.Kuma at 2007年07月08日 12:35
トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
コメント
おぉ!下流側にも砂利線があったのですね。
空中写真や地上の写真をみると名残であることに間違いないようですね。
五日市郷土館で五日市鉄道の展示があったときの展示物の「拝島停車場平面図」に描かれていた「西尾砂利線」について途中まででしたので、また、調べてみたくなりました。
拝島駅から出ていた「東京府拝島側線」は大正10年~昭和28年ごろまで稼動していたそうです。H.Kumaさんレポートにあります「東京市財務局線」と同じルートのようでした。
Posted by musashimarumaru at 2007年07月15日 10:21
musashimarumaruさん、こんにちは。
この築堤、一番古い写真では戦後すぐの米軍撮影のものにも観察出来るので、少なくとも近代に新しく作られたものでは無さそうですね。
拝島の「東京市財務局線」の名は、トワイライトゾーンMANUAL4 のトワママさんの記事で知りました。正式には「東京府拝島側線」という名称なのでしょうかね。
Posted by H.Kuma at 2007年07月15日 10:44
米軍撮影の古い空中写真にも築堤が確認できるのですね。
拝島の砂利線の名前はトワイライトゾーンMANUAL4からだったのですね。(残念ながらこの号のバックナンバーはもう入手できないようでした) これで、西尾砂利線の謎は、また深まりました。線路を延長していくと、奥多摩バイパス付近で合流して同じ採取地に向かうように想像していました。
Posted by musashimarumaru at 2007年07月15日 22:50
この記事へのコメントはこちらから