2008年10月05日
●東京発ブルートレイン全廃
来年3月で「富士」「はやぶさ」が廃止だそうで、これで東京口のブルートレインは皆無になります。この日の来るのは予測されていた事とは言え、改めて報道されると寂しいですね。
http://mainichi.jp/select/today/news/20081003k0000e040076000c.html
昨年の夏に乗ったのが最初で最後になるかな。これからラストランまではプラチナチケット化必至でしょうかね?

2008年09月13日
●根府川駅
大雄山線に乗ったついでに最近突如人気沸騰の熱海へ顔出して来ましたが、その途中で根府川駅に少し寄り道。ここはかつて足繁く通った人も多いかと思いますが、隣接する白糸川橋梁(通称:根府川鉄橋)が東海道本線を往来する列車撮影の名所としてつとに有名。でも近年は防風柵が付けられた為に列車が隠れ、写真は撮れなくなってしまいました。安全運行のためには致し方ないのですけどね。
で、私としては駅の魅力に惹かれて初めて降り立ったわけですが、太平洋に面した崖上に乗っているこの駅はまさに大海原の眺めが絶景の展望台。小田原から僅か二駅で、こんな限りなく秘境駅に近い場所があるというのは驚きでもあります。それも、天下の東海道本線にあって普段は無人駅。でも駅前にはちゃんと小規模ながら街も形成されているし、学校だってあります。
滞在したのは次の快速までの僅かな時間ですが、その間にEF66の牽く貨物列車が何本も通過して行きました。写真を撮りながら無人のホームをウロウロしているうち、まだ残暑の日差しが強くてヘタり気味に。15両編成の停車出来る長大なホームに、跨線橋付近に申し訳程度の屋根ですから、乗降する人数も限られているのでしょう。その屋根の下のベンチに腰掛けて、一人お握りをパクつきました。
絶景と危険は常に隣り合わせですが、関東大震災の際、折悪しく入構して来た列車もろともこの駅は土砂に飲み込まれて崖下の海中に没し、乗客、乗員、駅員、そして地元住民も含め多数の犠牲者を出したそうです。波の下に残るその旧ホームは時代を経て、今では付近のダイビングポイントとなっているのだとか。そんな事を思い出しつつ待っているうち、後続の快速電車が静かにホームへ滑り込んで来たので、それに乗って熱海へと向かいました。
なんか大雄山線より寄り道編の方が長くなりましたね。あ、熱海は大層な賑わいでした。って、温泉饅頭を買って帰って来ただけですけども。
2008年09月11日
●大雄山線
18切符、最後の一回は近場で軽く済ませてしまいましたが、近県の中小私鉄でまだ乗った事の無い大雄山線へ。小田原までは横浜線+相模線でボチボチと行きました。ちなみに、新駅舎になってからの小田原駅は初めて降りたかも知れない。橋上の構内通路から階段を下りて行くと、その途中に目指す伊豆箱根鉄道大雄山線の改札がありました。
ここはSUICAが使えますが、チャージは機械で出来なくて窓口までと書いてあり、面倒なので切符を購入。電車は5000系の3両編成に統一されていて中小と呼ぶには近代的、さすが西武系列。私が乗ったのは転換クロスシート車でしたが、編成によってはロングシートもあるようです。この規模の路線だと昨今は例外なくワンマン化されてるんですが、大雄山線はしっかり車掌さんが乗務しており、お客としても安心して乗っていられます。
沿線風景はまことに平凡ですが、終端の大雄山駅はこじんまりとして鄙びた雰囲気がなかなか私好み。模型にしたいようなエッセンスがそこかしこに滲み出て来ています。但し、裏手で修繕中の大きな建物の圧迫感が大きく、雰囲気ぶち壊しでそこだけは少し残念でしたが。
2008年09月05日
●北陸 地鉄街道(福井編)
「北陸 地鉄街道」、最終回は福井編となります。長々乗りまわりましたが、最後に武生新~田原町の福井鉄道福武線に乗ってこの日は終了。福井の宿では思い出に浸りつつ、金沢雅寿しで一杯。旅の余韻を楽しみながら床につきました。
>> 北陸 地鉄街道 福井編 <<

こちらはお土産に買って来た(リュックが小さいので送っちゃいましたが)富山銘菓の「月世界」。とても上品な甘さで、これまで味わった事のない食感も新鮮でした。材料は砂糖と鶏卵と寒天だそうで、持ってみると予想外に軽いので「あれ?箱の中カラッポ?」とか勘違いする位。

2008年08月30日
2008年08月23日
●北陸 地鉄街道(富山編)
北陸 地鉄街道 の第2回目、富山編 をアップしました。今回の主目的たる、富山地方鉄道の市内線と鉄道線の乗り歩きです。
>> 北陸 地鉄街道 富山編 <<

写真は立山線と上滝線の合流する岩峅寺駅。ホーム脇にはこんな光景が展開して、モデラー心を魅了してくれます。
2008年08月21日
●烏山線・日光線
お盆休みのうち一日を使い 18切符消化旅、関東近県で未乗だった烏山線と日光線に行って来ました。
まずは宇都宮始発で烏山線に直通するディーゼルに乗車。東北本線をひとしきり力強くエンジンを唸らせ、一転して宝積寺を出ると一面緑の田んぼの中をのんびりと走ります。車内は長ーいロングシートにずらっと並んで座る地元の方々、それと他校試合でもあるのかな?スポーツバッグを持った女子学生がチラホラと。ドアの開け方で四苦八苦してましたから、いつも乗ってる娘たちじゃないですね。
途中の大金駅で列車交換、駅員さんがタブレットキャリアを持って走ってる姿を久々に見ましたが、厳密にはタブレットを代用したスタフ閉塞という方式だそうです。沿線に特に大きな観光地があるというわけではないですが、終点の一つ手前の「滝」という駅では、リュック姿のおばちゃん方が数名「ここから歩いて滝見物へ…」とか、仲間と賑やかにしゃべりながら降りて行きました。終点烏山で待ち時間30分の折り返しは、駅付近の佳い佇まいを写真なんかに収めていたらあっという間。
復路は宝積寺止まりで東北本線の電車を待つ間、乗ってきた2両連結の気動車が分割されるのを眺めてました。宇都宮へ戻り、駅近くでちょっと早めのお昼。宇都宮と言えば餃子という事になるんですが、夏休みの時期、駅付近の有名店はどこも大行列でとても無理。あまり食欲も無いのでそうめん定食で済ませました。
次は日光線ですが、東武に負けてるとはいえ天下の観光地日光を控えてます。乗客には外国人、それも大きなリュックを抱えた長期旅行風の若者が多く目立ってましたね。とはいえ、終点日光駅に着くまでは至って地味な路線を地味な通勤電車が走ります。宇都宮の通勤圏でしょうからこの辺は当然ですね。でも割とスピードは出てたようなので、線形は良いのでしょう、きっと。
右手に東武の線路がチラチラ見え出すと大きな構内の日光駅に到着です。でも何だかほとんどの線路が引っぺがされた後で、電車がホームに入れるのは2線分しかありません。しかも、別段電車が居たわけでもないのに跨線橋を渡らなければならない側のホームへと着いたのは何故なのかな? しかしホームは殺風景でガランとしてますね。向うの東武の線路を往来するJRの特急電車を、職員の方々はどんな気持ちで見つめているのでしょう。駅前も当然ながら東武の方が賑わっている感じ、でも駅舎はJRの方が断然風格があります。
その立派な日光駅舎の写真を撮って帰って来ましたが、後で調べたら皇室専用貴賓室の特別公開を行なってたみたいで、貴重な機会を逃してしまいました。残念。
2008年08月11日
2008年08月04日
●北陸旅
夏休みには少し早いですが、北陸方面をあちこち周って来ました。地方私鉄がたくさん頑張ってる北陸は、私にとってお宝地帯。あちこちから譲渡されていったあんな電車、こんな電車も元気に走り回っていましたョ。

チラっとな写真で申し訳ない。ちゃんとしたレポートは又追って。
2008年07月07日
●スカイライナー
空港アクセス30年、スカイライナー物語 (産経デジタル「iza:イザ!」より)
懐かしい。スカイライナーが走り始めてもう30年にもなるのか。私が初代のAE車に出会ったのは、今はなき津田沼第一工場の留置線だ。当時は中学生だったと思うが、なかなか良い場所が見付からなかったのか、遠くから撮った写真が一枚だけ実家のアルバムに残っている筈だ。その頃は通勤電車に毛の生えたような有料特急「開運」を走らせていた京成に、こんなデラックスな特急車両が入って来るなんて、まさに夢のようだった。かつての特急車伝統色を復活させたマルーンとクリームのその塗り分けも、どことなく落ち着いた気品を感じさせてワクワクしたものだ。

残念ながら当初は空港運輸に就けず、その頃のピク誌には「国家的損失」などという少々大げさな?表現もされている。その後素っ気無い「特急」の幕を掲げて細々と参拝客輸送を行なったりもしていたが、私が大学生になった頃にようやく空港までの営業を開始、鉄研の仲間数人でわざわざ千葉から上野まで出向いて折り返し、全行程の完乗を果たしたのも懐かしい思い出だ。もちろん空港なんぞには無縁の我々だったので、地上にも出ずにそのままとんぼ返りだったが。その成田空港駅も今はホームを半分に縮小し、一支線の東成田駅になってしまった。
思えば特急電車に「ライナー」という名称を冠したのは、国内では京成が最初だったんじゃなかろうか。その後AEはAE100に置き換わり、その現役編成も成田新高速鉄道開通の暁には第一線を退く事になるとの事。あぁ、時代は変わる、そして歳をとるわけだな…。

