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谷津遊園の歴史

 谷津遊園が開園したのは1925(大正14)年。当時、各鉄道会社が観光客誘致の目的で沿線に遊園地を開設するのがブームとなっていましたが、その流れの中で京成電気軌道(現在の京成電鉄)も「京成遊園地(株)」を設立し、津田沼村の海岸で遊園地の営業を開始しました。元々この場所には初代津田沼村長が私財を投じて明治中期に完成させた塩田がありましたが、その後台風により壊滅的な被害を受けて放棄された場所を埋め立てて京成が転用したものです。

 開園当初は庭園に料理屋のある程度でしたが、翌年には勧業銀行本店の建物を移築して「楽天府」と称し、園内のシンボル的な存在に位置付けました。その後、海水プール、植物園、野球場などを続々と設置して徐々に規模の拡大を図り、昭和初期の園内案内図には、ラヂウム温泉、釣堀、馬場、子供プール、汐干狩、キャンプ、いちご園、草摘などの記述も見えます。
 戦時中は時局にそぐわないとの理由で「遊」の字をとって「谷津園」と改称し国民鍛錬の場を標榜しましたが、営業は実質休止状態で園内は徐々に野菜畑へと転用されてゆきました。戦後は国内唯一の海上ジェットコースター、菊人形展、東洋一のバラ園、近代では日本初の宙返りコースター「コークスクリュー」や大観覧車などで人気を博しましたが、その後レジャーの多様化や、浦安に計画され経営母体の同じディズニーランドとの競合を避けるため、1982(昭和57)年12月に閉園されました。跡地には公営マンションが建ちましたが、園内にあったバラ園はそのまま習志野市に引き継がれ、「谷津バラ園」として現存しています。

参考:
鉄道ピクトリアルNo.787「谷津遊園をめぐる鉄道」白土貞夫氏
Wikipedia:谷津遊園

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